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前回の記事で、僕は、スペインがドイツに勝利するためには、クワトロフゴーネスで挑むにしてもセカンドトップの役割を誰かが担うことと、ボールポゼッションを意図的に放棄することが重要であると書いた。

それは、ある程度は当たった気がするし、外れた気もする。

セスク(あるいはイニエスタ)をセカンドトップっぽく使うという案は、開始数分はセスクがその役割を担っていたように見えたけれど、アラゴネス爺によってあっさりと裏切られた。この期に及んでもスタイルを貫くことには少々の呆れと同時に、潔さを感じた。ビジャを欠いた時点で、彼らにセカンドトップという概念は消えうせたのだろう。
また、ドイツが1トップの相手に対しても、徹底したラインディフェンスで挑んできたというのもスペインにはプラスに作用した。
彼らの不用意に上げたラインは、ゴールシーンを含め何度か自らの首を絞めることになってしまった。


一方、ポゼッションを多少なり放棄するという案は、51%というスペインにしては低すぎるボールポゼッションを見れば、ある程度は当たったといってもいいのかも知れない。しかしながら、スペインのポゼッションが低くなったのは、これまでの試合に比べると得点差が開かずシリアスな展開が続いたことと、スペインの攻撃がこれまでに比べれば直線的になって早かったからだ。彼らは、相手に主導権を渡すのではなく、攻撃を早くすることで相手にボールを持たせた。
話が前後するが、ビジャ(セカンドトップ)の不在とボールポゼッションの低さに最も恩恵を受けたのは、間違いなくフェルナンド・トーレスだった。速いカウンターがさらに速くなり、ゴールシーンのように中盤で回さず直線的な縦の長いスルーパスが何度かシャビから送られた。
ちなみに、僕の記憶では、こういったパスを出していたのはシャビだけだった。改めて、そのゲームを読む力には恐れ入る。




ここまでほとんどスペインの話しかしていないので、ここからは少しドイツの話をしたいと思う。
ドイツの戦い方を見ていて意外だったのが、彼らのサッカーが「ドイツらしくなかった」ことである。
僕は、技術面で決定的な差があることを見据えて、ドイツは徹底したフィジカルなサッカーを挑むものだと思っていた。ところが、クリンスマン監督就任以降進めてきたパスをつなぐサッカーを律儀にも決勝でもやってきた。スウェーデン戦を見ても分かるように、スペインがフィジカル勝負を苦手にしているのは明白なのだから、どうしてお得意のガツガツした力でねじ伏せるようなサッカーをしなかったのだろうか。彼らの律儀なスペインへのお付き合いによって、最後には技術の差を見せつけられたことによる戦意の喪失という、ロシアと同じ結末をたどってしまい、頼みのゲルマン魂もこの試合では見ることはできなかった。


今期のチャンピオンズリーグのファイナルを見たとき、ハードワークの両者が激突し、テベスやルーニーといったタレントにもハードワークを強いたユナイテッドが勝ったことで、しばらくは運動量、自己犠牲というものがクローズアップされるサッカー界が訪れるものだと思っていた。
ところがスペインは、簡単にいえば、自分たちの得意分野である技術にモノを言わせて勝ってしまった。もちろん今回のスペインには、珍しく球際への厳しさ、不用意なミスの少なさ(セルヒオ・ラモスの決勝のミスはいただけなかったけれど…)みたいなものがあったのは確かだ。ハードワークも水準以上だった。テレビを見ているだけではあまり分からないけれど、一体感みたいなものもあったらしい。
それでも、彼らの最大の武器は、あのレベルにおいても決定的なまでの「うまさ」だった。

彼らの勝利はこの上なく美しいし、大事な試合になると結果に媚を売って自分たちのサッカーを忘れることをしなくても頂点に立てることを証明してしまった。

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ギリシャのサッカーがそのあと流行らなかったように、この優勝で世界の流れが一変するとも到底思わないけれど、今後のサッカー界がこの優勝をどう受け止めていくのか、今から楽しみでならない。